葬式は無くなるのか!?

実はウェブ上でこんな記事を見付けたので皆様にシェアしたいと思います。

「葬式はなくなる? 通夜なし、式なしの「直葬」選ぶ時代に」

https://dot.asahi.com/wa/2019020800014.html?page=1

簡単に言えば、葬式を極限まで簡素化し、出費がほとんど無い状態で故人を送る人たちが増えている、という記事でした。

そういう事は本当に増えていて、そして市民権も得て来始めている。そういう事を感じずにはいられない記事でしたが、一方で、私の住んでいる田舎ではまだまだ難しいだろうな、という思いもまた抱きました。

葬儀というものは本当に不思議です。単純に家族や仲間の死を悲しんだり感情が動いたりするという事自体は、他の動物でもあるのかもしれませんが、葬儀のように何か儀式めいた事を生きている者が行うという行為は、人間にしか到達しえない精神的な感情なのだと感じます。

さらに、宗教の違いによってもその形式や精神性は様々で、我々日本人に馴染みの深い仏教では、葬儀の後7日ごと、7回にわたって弔いのお経をあげ、49日後のいやゆる「しじゅうく」までが一区切りとなっています。

その後、「一周忌」「三回忌」「七回忌」「十三回忌」「十七回忌」「二十三回忌」「二十七回忌」「三十三回忌」「三十七回忌」「五十回忌」「百回忌」と続き、以降、50年ごとに法要を行うというのが、どうやら本筋のようです。

もっとも実際は、なかなかそこまで行えるものではなく、さすがに「誰かと誰かの回忌が近いから一緒にやろう」とかそこまではせずに終えてしまう場合とか、結構見受けられるようです。

話題を元に戻しますが、そんな通夜なし、式なしの直葬では、故人とお別れをしたい第三者は一体どうすればいいのでしょうか?人と人の繋がりが強いようにみえて実は約束事での付き合いも多い田舎よりも、地方から出てきて少しづつ人の交流の幅を広げてきた都心の方の方が、実は切実なのかなと感じます。また、都会だろうと田舎だろうと、お別れしたい人が指で数えるほどというのは、ちょっと何といいますか寂びしすぎるのではないかなとも感じます。一体、人生って、何だったんだ、とか。

そうは言っても現実は、面倒な付き合いも含めて横の繋がりも希薄になってきているし、そういう葬式も通夜もしないという風潮はドンドン拡大していくのかなとやはり確信しています。

一方、先ほども申しました取り葬式を簡素に、いわゆる密葬に近いような形で終えた場合、第三者が故人に思いを送る手段はあまりありません。

知らせを聞いて次から次へとご自宅に押し掛けて、家人の方にご迷惑を掛けてしまうのは本末転倒ですし、家へ伺えないというのであれば、手段はお墓参りしか残されていませんから、どういう形であれ、お墓参りの重要性は高まるのかもしれません。

お墓には眠っていない、風になっている、という主旨の歌が流行りましたが、やはり故人への思いを届けるという行為は生きている人本人にとって意味のある行為であるので、故人への報告や決意を祈る場としてのお墓は、その存在を増していくのかなとも感じています。

あなたの大切な人やルーツになった人、そういった方の葬儀には参加していなくても心に秘めた思いをお伝えする事はお墓参りによって可能なのではないでしょうか。

もちろん、なかなかお墓まで出向けない事情もありますので、お墓の清掃は代行させて頂き、その思いを伝える、そういった瞬間をもお届けできるようなサービスも行っていますので、お墓参り代行をお考えの方で、でも実際に手を合わせないとマズいんじゃないかな・・・と思っている方がいらっしゃいましたら、ぜひお伝えいただけたらと思います。