少子化日本の墓問題

一人っ子同士で祖父母の代4つの墓守りも?少子化日本の墓問題

https://www.mag2.com/p/news/386570

という記事がインターネットにあったので考えてみたいと思います。

この記事では、「自分は本家の長男だが墓守をしたくない」というご相談に対し、人気コンサルタントの永江一石さんとおっしゃる方が「自分は葬式も墓も不要だ。子供に迷惑をかけるし別にありがたくもなんともない。あなたもご両親に墓守をしたくないとご相談されてはどうか?」とご回答されています。

なるほど、簡潔で合理的で今の時代を反映したご回答であると感じます。

避けられないトレンドとして、これからお墓は都市部から徐々に減少して行くものと思われます。そして既存の墓地も墓じまいを行う所が増えて来るであろうと思います。

しかし、完全に無くなる事は無いでしょう。それは墓守=嫌なものという価値観の人間ばかりではないという事でもありますし、歴史的に経済的にお墓を維持できるのであればする方の方が圧倒的に多いのではないかと推察するからです。

日本の国民全てにとって、墓を守ったり墓参りをしたりする事は嫌な事足り得るでしょうか?答えはノーです。実際、私自身は墓参りをすること自体に、それほど負担を感じていませんし、むしろ今の自分と対峙できる貴重な機会とすら思っています。

先祖の前で手を合わせ、自身の近況を報告しようとした時、その思念に嘘はつけません。どんなに常日頃、自分自身をも騙しながら生きているのか、そうして先祖と対面するとよく分かります。色々良い事を報告しようとしても、普段ベールで包んでいる嘘や上方修正した感覚が剥ぎ取られ、全くフラットで素の自分を報告しようとした時、出て来る思念は情けないという思いの方が強く、長時間手を合わせていられないくらいの羞恥を感じます。

皆さんはいかがですか?私は敏腕ビジネスマンには遠く及ばない地方の零細経営者ですので、心の底から、自信をもって、一片の嘘偽りなく、社会に自身をさらけ出す事ができていません。お墓参りは素の自分と対峙する貴重な時間でもありますし、草とりや清掃などを行う事で、対峙する準備も整ってくるのかなと感じます。

最近では子供とお墓参りに行く事が多いので、今までの自分の報告に加えて先祖への感謝の念も湧いてくるようになりました。こんな素晴らしい家族に恵まれて感謝します、と。

一方で、お墓参りに掛かる経費もバカにならない方も多いのではないでしょうか?

都心から実家のある地方まで電車で移動し、お墓参りをし、ご近所に挨拶などをしてまた帰る。それも家族皆で。一体、どれほどの経費が掛かる事でしょうか?できる事なら墓じまいをしてしまいたいという思いも、分からなくはないです。

しかし、人間には生物的に必ず両親がいて、その両親にも両親がいて、先祖というルーツを形成しています。あまり機会は無いかと思いますが、この先祖を意識した時、特殊な事情が無い限りは別段悪い印象は抱かない筈で、顔も知らない自身の先祖のエピソードを親戚や近所の方から聞くと、何となく身近に感じたり自身の性格と似たようなエピソードがあって苦笑いしたり、温かな気持ちになる事ができたりするものです。(もちろん、特殊な事情がある方は別です)

そういう話をする機会も悪く無い機会かなと思うのですがいかがでしょうか?

数年に一度はそういう機会を作る。その際にお墓でもないと、なかなか実家のある(あった)場所に戻るきっかけもありませんので、お墓を残す事は、ある意味大事な事も多いのかなと感じる記事でした。

皆様はどのように感じられたでしょうか?今のあなたの感じ方と20年後の貴方の感じ方はどうでしょうか?変わっていたりするものでしょうか?その時お墓の存在が既になかった場合はどのように感じられると思うでしょうか?